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休日に考えたこと

先日の休日。なんとか娘と相方を送り出すと、もう眠い。「普通なら今頃仕事してるのに…」と、ゴロゴロ、ダラダラ。

他人様の目という強制力と言うか、薪がないと動けないのが長年の悩み。それでも、どうにか駅前のデパートの子ども服セールに出向くと、平日なのにお母さんがいっぱい!で、服高い!皆、凄い…。

手頃な価格のものを何とか見つけ、帰路。近所に出来て、気になっていた薬膳ランチを出す小さなカフェを覗くと、女性客でいっぱい。周辺に事業場は少なく、多分主婦の方々のグループ。自身女だけれど実は、女性グループ、大量の女性って苦手だ。

このところ、女同士の共感ごっこみたいなものに疲れているから余計に、である。

職場の昼休み。現在、会話の大半は相方(亭主)の悪口と、子どものこと、子どもらとの日常。「場」を支配する人間が、これらをお好みなのだ。仕事中ですら垂れ流す。

みっともないほど娘のことが大好きである。聞かれたら彼女のことは話すが、他人に垂れ流すのは恥ずかしいと考えている。また、場の空気を読んで、相方のことを露悪的に語るのも疲れてきた。で、このところ黙って聞く一辺倒に落ち着いている。

面白味のない人間と自己分析しているが実は、話が面白いと言われることは多い。話すことを「ネタ」に昇華しようと心掛けている成果か?

また「ネタ」そのものの仕入れも、それなりにやっている。相手のデータも、時にスマホ等にメモしたり。誰でもやるだろうけれど、面白味のない人間なりの気遣い。

ただ、面白いと言ってくれるのはまた、単に自分が「変」であり、(気遣いのつもりが)微妙にズレているからではないか、とも思う。相手にそれを面白がる能力があるのだ。

変なままの、素のままでいて面白いと言ってくれるのが、そりゃ一番いいし、嬉しい。そんな時もある。こういうのが、相性がいいというヤツだろう。

しかし今は通用しないのだ。暑苦しい「同質性」「共感」が強いられるばかりで。

よく考えたら、大抵の女の人は、自分のことばかり喋って、それでも会話が成り立っている。会話や雑談というものを難しく考えるのは負け、である。

今は弁当をそそくさと食べ、自席で一人コーヒーを啜り、やっとホッとしている。「『女の人』って」というざっとしたくくり方がまた嫌な性分だけれど、これ以上難しく考えるのはよそう、と言い聞かせながら。そしてそれがダラダラの休日より充実している、と思うのだから困ったもので。

ダラダラ書いての気付きやら思い付きやら

  • 休日も例えば「整骨院に行く」等、ToDoを仕込んでは?
  • 要予約など出来れば強制力のあるもの
  • 休むことを積極的に「予定」にしてしまえばいい→ここまで行くと「タスク」ってものかな?
  • 当分は「『女の人』って」と一般化して乗り切っていく
  • 職場でも「さあ、これでリラックス!」な行動をいくつか仕込んだ方がいいかも
  • もっと相性のいい人と話す機会を持とう

思い付きで終わらせないように。

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『STAR WARS 』に涙し「選択肢が狭まると楽」と思い込もうとしていた頃のこと

現在四十代後半。いつまで勤め続けられるか分からない臨時職員。両親は元気だが老いたし、自分の死すら意識せねばならない歳となりました。

不安で一杯だけれど、「あの頃」の方がより不安で、また静かに辛かったので、そのことを書きます。

「あの頃」以前

出産前後

三十代後半に差し掛かり、やっと子どもを授かった。順調だと思っていたら八ヶ月に入って「早産しかかっている」と、一ヶ月余り入院。そして出産。

出産後、職場に顔を出したら退職勧奨される。解雇、ではない。もちろん自主退職扱い。

一年あまり仕事を探さなかったあの頃

娘が可愛かったからもあります。しかし歳も歳だし、「お前は要らない」な形で辞めているから、仕事を探すなど怖くて出来ませんでした。

娘がまた、おっぱいおっぱいな子で、疲れ果て生活リズムは乱れる。仕事をしていないこと、人様と同じリズムで暮らせないことで、自己肯定感は限りなく低かったと思います。

『STAR WARS』に涙って

気晴らしに買ったDVD『STAR WARS REVENGE OF THE SITH』を観ても泣く始末。メイキングが特にいけない。「こんな素晴らしい物を生み出す人々がいるのに自分は」となる。分かりやすく拗らせていました、我ながら。

どうにか仕事に就く

そもそも対症療法みたいなのが全然効かないのです。仕事をしていないことで落ち込んでいるのは明白。「『怖くて仕事探せない』では進めない、これは仕事に就くしかない!」と、期間雇用の口を見つけました。

「選択肢が狭まると楽」と思い込もうとしたあの頃

おばちゃんになると

おばちゃんでも臨時に絞るとなんとか仕事には就ける。娘という責任も背負って、「選択肢が狭まると却って楽になれる」という考えが降りて来ました。

若い頃の、「お前は何でも選び取れるのだよ?選び取れるはずなのに何をしている!」って、しんどかった。

でもね、おばちゃんになると例えばもう、「アイドルになりたい!」なんて思わないでしょう?理屈はこれ。おばちゃんだもの、歳だもの。「職人の子は職人になる」みたいな、昔の人が選択肢の海に溺れないで済んだことに通じるかもしれないなと、しばらくは肩の荷が降りた感覚。

でもそれは、「成り得たかもしれない自分」の幻を振り切って、前を見据えたものではなかったというか。日々ただ淡々と暮らしていくための言い訳だったというか。

コンプライアンスというより、ただ上に怒られないように締め付けが強くなる職場と、本来の仕事に注力出来ずピリピリする周囲。自分どうこうより、他人の不機嫌に曝される方が滅入る自分を守ったのかもしれません。静かにおかしくなっていっている感覚がありました。

期間雇用も雇い止めに

こんなだから仕事は出来なかったでしょう。悔し紛れに言うと、あのまま居続けたい所ではなかったので良かったと思うようにしています。「酸っぱい葡萄」ですね。

今がいいな

ワンクッション置こうと受けた職業訓練の際、「これからはアウトプットしなきゃ」な言葉に触れてはっとして。その後また臨時ですが職にも就け、前に向いている感覚、前を向くためいろいろやっている今は充実していると。

前述の不安もあるし、ブログでも仕事でも家庭でも悩みは尽きないけれど、進んで行きたいし、この場で発信出来たらいいなと考えています。

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人の人生の「脇役」以前に、人生の主役は誰かを考える

もともとが怒ったりしたら、言葉を飲み込むタチのtsurusuke(@yaegaki4)です。

言いたいことが口に出せない、そのことについて考えたので書いてみます。

考えてみると、言いたいことー大抵が怒りなどの感情ですねーが言えない要因の一つに「自分は人の人生に登場する脇役である。なるなら『いい脇役』か、せいぜい『通行人A』くらいにしておきたい」な思い込みがあることに気付きました。

どこでこれが形成されたのかな?というと、嫌な目に遭う・嫌な人に出会った際、そのこと・その人のことばかり考えてしまうのが悔しかったことからでしょうか。それはもう、味わい続けてしまう。牛の反芻のように考え続けてしまう。

翻って、「人にはこんな思いをさせたくはない」となったのですね。

で、つい忘れるんです、主役である自分のことを。主役だから、と思うまま言いたいことを言っても、思い描く物語にはならないのでしょうけれど、このままではつまらないなと、ふと感じました。

言いたいことを我慢したところで、そのことで全ての人を満足させることなどないはず。

「この人は優しいな、しかも頭がいいからしんどいかも」と思っている人に以前、「tsurusukeさん、黙ってるからストレス溜まらないかなって」と言われたことがありました。ばれている。で、心配されている。黙ればOKな訳ではないのだ。自己嫌悪に陥らない程度に、ちょっとばかり暴れてもいいだろうか…?いや、いいはず。

人生半ば過ぎでの気付きにしては小さいけれど、進みます。

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