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雑記

人の人生の「脇役」以前に、人生の主役は誰かを考える

もともとが怒ったりしたら、言葉を飲み込むタチのtsurusuke(@yaegaki4)です。

言いたいことが口に出せない、そのことについて考えたので書いてみます。

考えてみると、言いたいことー大抵が怒りなどの感情ですねーが言えない要因の一つに「自分は人の人生に登場する脇役である。なるなら『いい脇役』か、せいぜい『通行人A』くらいにしておきたい」な思い込みがあることに気付きました。

どこでこれが形成されたのかな?というと、嫌な目に遭う・嫌な人に出会った際、そのこと・その人のことばかり考えてしまうのが悔しかったことからでしょうか。それはもう、味わい続けてしまう。牛の反芻のように考え続けてしまう。

翻って、「人にはこんな思いをさせたくはない」となったのですね。

で、つい忘れるんです、主役である自分のことを。主役だから、と思うまま言いたいことを言っても、思い描く物語にはならないのでしょうけれど、このままではつまらないなと、ふと感じました。

言いたいことを我慢したところで、そのことで全ての人を満足させることなどないはず。

「この人は優しいな、しかも頭がいいからしんどいかも」と思っている人に以前、「tsurusukeさん、黙ってるからストレス溜まらないかなって」と言われたことがありました。ばれている。で、心配されている。黙ればOKな訳ではないのだ。自己嫌悪に陥らない程度に、ちょっとばかり暴れてもいいだろうか…?いや、いいはず。

人生半ば過ぎでの気付きにしては小さいけれど、進みます。

via PressSync