現在四十代後半。いつまで勤め続けられるか分からない臨時職員。両親は元気だが老いたし、自分の死すら意識せねばならない歳となりました。
不安で一杯だけれど、「あの頃」の方がより不安で、また静かに辛かったので、そのことを書きます。
「あの頃」以前
出産前後
三十代後半に差し掛かり、やっと子どもを授かった。順調だと思っていたら八ヶ月に入って「早産しかかっている」と、一ヶ月余り入院。そして出産。
出産後、職場に顔を出したら退職勧奨される。解雇、ではない。もちろん自主退職扱い。
一年あまり仕事を探さなかったあの頃
娘が可愛かったからもあります。しかし歳も歳だし、「お前は要らない」な形で辞めているから、仕事を探すなど怖くて出来ませんでした。
娘がまた、おっぱいおっぱいな子で、疲れ果て生活リズムは乱れる。仕事をしていないこと、人様と同じリズムで暮らせないことで、自己肯定感は限りなく低かったと思います。
『STAR WARS』に涙って
気晴らしに買ったDVD『STAR WARS REVENGE OF THE SITH』を観ても泣く始末。メイキングが特にいけない。「こんな素晴らしい物を生み出す人々がいるのに自分は」となる。分かりやすく拗らせていました、我ながら。
どうにか仕事に就く
そもそも対症療法みたいなのが全然効かないのです。仕事をしていないことで落ち込んでいるのは明白。「『怖くて仕事探せない』では進めない、これは仕事に就くしかない!」と、期間雇用の口を見つけました。
「選択肢が狭まると楽」と思い込もうとしたあの頃
おばちゃんになると
おばちゃんでも臨時に絞るとなんとか仕事には就ける。娘という責任も背負って、「選択肢が狭まると却って楽になれる」という考えが降りて来ました。
若い頃の、「お前は何でも選び取れるのだよ?選び取れるはずなのに何をしている!」って、しんどかった。
でもね、おばちゃんになると例えばもう、「アイドルになりたい!」なんて思わないでしょう?理屈はこれ。おばちゃんだもの、歳だもの。「職人の子は職人になる」みたいな、昔の人が選択肢の海に溺れないで済んだことに通じるかもしれないなと、しばらくは肩の荷が降りた感覚。
でもそれは、「成り得たかもしれない自分」の幻を振り切って、前を見据えたものではなかったというか。日々ただ淡々と暮らしていくための言い訳だったというか。
コンプライアンスというより、ただ上に怒られないように締め付けが強くなる職場と、本来の仕事に注力出来ずピリピリする周囲。自分どうこうより、他人の不機嫌に曝される方が滅入る自分を守ったのかもしれません。静かにおかしくなっていっている感覚がありました。
期間雇用も雇い止めに
こんなだから仕事は出来なかったでしょう。悔し紛れに言うと、あのまま居続けたい所ではなかったので良かったと思うようにしています。「酸っぱい葡萄」ですね。
今がいいな
ワンクッション置こうと受けた職業訓練の際、「これからはアウトプットしなきゃ」な言葉に触れてはっとして。その後また臨時ですが職にも就け、前に向いている感覚、前を向くためいろいろやっている今は充実していると。
前述の不安もあるし、ブログでも仕事でも家庭でも悩みは尽きないけれど、進んで行きたいし、この場で発信出来たらいいなと考えています。
via PressSync