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うっかりアプリが削除されないようにする

夏バテを過ぎたら、夏風邪を引いたtsurusuke(@yaegaki4)です。が、病み上がりに無理矢理、夏まつりやプールに行かされたら治りました。クーラーがいけないのは、ほぼ分かっているのですが。

アプリが削除された

先日の仕事中、iPhoneを机上のスマホスタンドに立てるのを忘れました。で、パンツのヒップポケットに突っ込んだまま、あれこれ動き回ること数時間。すると触りどころが悪かったのか、アプリが削除されてしまって。

よりによって…

Android端末の頃から一年半愛用の「Any.Do」が。残ったToDoは少なかったけれど、これは落ち込みました。

いつの間にか配置が変わってしまっているとか、フォルダが出来てしまっているのはよくありましたが、ここまで酷いのは初めて。その代わり何故か、iPod touchにしか入れていないアプリが画面に…一体何をしたのか?「うわ〜っ、機能制限掛けて消せなくしときゃよかった」と思ったが、後の祭り。

削除されないよう設定する手順

以下、削除しないための設定手順を書いておきます。

設定→一般→機能制限→機能制限を設定→任意(4桁)のパスコード入力(2回聞いてきます)→「Appの削除」をオフ→ホームボタンを押す

これだと、アプリのアイコンを長押ししてもプルプルするだけで消えないのを、知っていたのに何故やらなかったかという。

自分はiPhone5で、子どもにも触らせています。なのでもちろんパスコードは設定していますが、任意の数字を忘れないように。

これを機に、簡単なToDo管理からタスク管理なるものに進もうかと思っています。転んでもタダで起きちゃ駄目、ということで。「たすくま」とか…高いけどいいなぁ。

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ブログ 雑記

あれは「嗤う」レベルなの?

梅雨も明けていないのに、早くも暑さにやられたか、このところ寝落ち続きのtsurusuke(@yaegaki4)です。

ぽつぽつとブログの記事を書き進めていたら、あらら、どうにも「鮮度」が落ちていた。その時何があって、どう思ったかを、自分のためにもっと書き留めたいな、と。

鮮度と言えば…

某市議の号泣会見なのでしょうが、もうびっくりしました。あれに皆、笑っているのですか?面白いのですか?怖過ぎて、気持ち悪過ぎて、あざ笑う方の意味の「嗤う」ことすら出来ません。

言い方も解釈も変ですが、自分の生き物としての古い脳が怖がっています。しかし如何せん、新しい脳がその理由を解らないのです。ただ、近寄らない方がいい人間なのは、間違いない。

救い?は、彼が某お笑いタレントに似ていたところ。少しは「笑う」落としどころを見つけられたのですが、だからって見られる代物じゃない。あの人は、どうしてこんななっちゃったのかは、気になるところですが。

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雑記

ありのままの自分

近所で、昨年まで田んぼだった一角になぜか今年、ヒマワリ。正に映画「ひまわり」みたいなことになっている。

この映画、ソフィア・ローレンがいい女だった、しか憶えてないんですね。我ながら、物語を読む能力がないと言いますか。

取って付けたようですが、映画と言えば最近は「アナと雪の女王」。これだけ話題になって、さすがに娘にせがまれるのを覚悟していたのですが、もう今月はDVDの発売。スクリーンで観るのは免れた訳です。

「中二病」でしょうか?これに罹患して長いのか、どうもこういうの苦手。歌を聴いて、もう萎える。「素のままの自分なんて世間様にお出し出来ないじゃないの!」となってしまうんですね。そもそもディズニーの絵が嫌いですし。

これは少し前、いつも行くヘアサロンでのオーナーとの会話。

「『アナと雪の女王』、こんな話題になる前すぐ観たんですよ」

「ネタバレOKなんで、どんな話か聞いていいです?」

「ん〜、姉妹が男に振り回される話、かな?」

「そう受け取るのって多分、人として駄目ですよ〜っ!どなたか他の人にも言いました?」

「言えませんよ〜っ!tsurusukeさんなら判って貰えるかなと」

「私、以前平幹二朗の『リア王』観て『ええと…お父さん馬鹿でした、な話?』ってなって自分で呆れたことあるけど、もしかしてそのレベルかも?」

「ははは!」

ちょっとほっとしました。

そもそも「Let it go」の意味は?

「Let it be」とどう違うのかな?と、少し調べたら、「(他者の言動に対して)反応しない」とか「あきらめる」とか、あらら?なものばかり。「(自分の)ありのまま」の意味はない。まして期待される「生まれたまま」「無垢さ」を尊ぶ要素も…?

観る気もないので、映画の筋すら詳しく調べないまま書き進めているのですが、元は「私は私のままでいいんだわ」のようなぬるい意味ではないよう。なんだか…良かった。

自分にとっての「ありのままの自分」

『「変わっているけれど悪い人じゃない」という落としどころを見つけようと目指す自分』かな?と。この映画の「雪の女王」も、案外こんなところだったりして。

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雑記

休日に考えたこと

先日の休日。なんとか娘と相方を送り出すと、もう眠い。「普通なら今頃仕事してるのに…」と、ゴロゴロ、ダラダラ。

他人様の目という強制力と言うか、薪がないと動けないのが長年の悩み。それでも、どうにか駅前のデパートの子ども服セールに出向くと、平日なのにお母さんがいっぱい!で、服高い!皆、凄い…。

手頃な価格のものを何とか見つけ、帰路。近所に出来て、気になっていた薬膳ランチを出す小さなカフェを覗くと、女性客でいっぱい。周辺に事業場は少なく、多分主婦の方々のグループ。自身女だけれど実は、女性グループ、大量の女性って苦手だ。

このところ、女同士の共感ごっこみたいなものに疲れているから余計に、である。

職場の昼休み。現在、会話の大半は相方(亭主)の悪口と、子どものこと、子どもらとの日常。「場」を支配する人間が、これらをお好みなのだ。仕事中ですら垂れ流す。

みっともないほど娘のことが大好きである。聞かれたら彼女のことは話すが、他人に垂れ流すのは恥ずかしいと考えている。また、場の空気を読んで、相方のことを露悪的に語るのも疲れてきた。で、このところ黙って聞く一辺倒に落ち着いている。

面白味のない人間と自己分析しているが実は、話が面白いと言われることは多い。話すことを「ネタ」に昇華しようと心掛けている成果か?

また「ネタ」そのものの仕入れも、それなりにやっている。相手のデータも、時にスマホ等にメモしたり。誰でもやるだろうけれど、面白味のない人間なりの気遣い。

ただ、面白いと言ってくれるのはまた、単に自分が「変」であり、(気遣いのつもりが)微妙にズレているからではないか、とも思う。相手にそれを面白がる能力があるのだ。

変なままの、素のままでいて面白いと言ってくれるのが、そりゃ一番いいし、嬉しい。そんな時もある。こういうのが、相性がいいというヤツだろう。

しかし今は通用しないのだ。暑苦しい「同質性」「共感」が強いられるばかりで。

よく考えたら、大抵の女の人は、自分のことばかり喋って、それでも会話が成り立っている。会話や雑談というものを難しく考えるのは負け、である。

今は弁当をそそくさと食べ、自席で一人コーヒーを啜り、やっとホッとしている。「『女の人』って」というざっとしたくくり方がまた嫌な性分だけれど、これ以上難しく考えるのはよそう、と言い聞かせながら。そしてそれがダラダラの休日より充実している、と思うのだから困ったもので。

ダラダラ書いての気付きやら思い付きやら

  • 休日も例えば「整骨院に行く」等、ToDoを仕込んでは?
  • 要予約など出来れば強制力のあるもの
  • 休むことを積極的に「予定」にしてしまえばいい→ここまで行くと「タスク」ってものかな?
  • 当分は「『女の人』って」と一般化して乗り切っていく
  • 職場でも「さあ、これでリラックス!」な行動をいくつか仕込んだ方がいいかも
  • もっと相性のいい人と話す機会を持とう

思い付きで終わらせないように。

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芸術

竹本住太夫の「物語」

「今のiPad AirのCMがまた、いいよねぇ」なtsurusuke(@yaegaki4)です。

そんなことを考えていたら、先日引退したという竹本住太夫のドキュメンタリーをテレビで目にした。この人は、文楽(人形浄瑠璃)という人形劇の、そして義太夫という浄瑠璃の流派の語り手。

昔、歌舞伎にかぶれていた時期がありました。もっと言うと中村歌右衛門という女形に、なんですけれど。

で、その歌舞伎の人気演目の多くは実は、人形浄瑠璃からちゃっかりいただいたもの。なので、彼の語り、 伴奏の三味線の響きは懐かしく、単純に痺れてしまいました。しかし普通の人には「浄瑠璃?What?」かもしれません。

とか何とか、自分もそう詳しくないので以下、Wikipediaから抜粋します。

浄瑠璃(じょうるり)は、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る劇場音楽、音曲である。

詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物(かたりもの)と呼ぶのが一般的である。

うんうん、「語る」なんですよ。

ついでに言うと、歌舞伎とか、「役を演じる」じゃなくて「お役を勤める」ってのが、やはり気分。言い回しが単に古いんじゃないんです…うむ、無理だ、説明出来ない。こういうのはやっぱり演劇評論家とかに任せますか。

住太夫の「物語」は正に物語を語ることだった。さあ、自分の物語は何だろう?

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